石刃鏃文化の痕跡

先日、仕事があり道東を走る機会があった。網走からの帰り道、
大空町(旧女満別町)を通る際、一本隣の道を走る。
この道沿いには豊里遺跡がいくつも点在しているハズ。


走っただけでは何もわからないのだけれど、山裾のあたり一体から
遺跡が出ていることは、以前資料室を訪ねた際に地図で確認している。


当時は縄文海進よりも以前であったハズなのだけれど、海はもっと
内陸に入り込み温暖であったのだろうか?
なぜ、ここと選んで跡が残されているのだろうか。


肥沃そうな土地が丘陵に挟まれて平坦に広がるけれど、どんな都合が
あったのだろう?眺めるだけでは、今は知る由もないな。