室蘭郷土資料館 【2010.05.05】その2

      

土偶などというものに北海道は縁がないものと思っていた。これは2年前に
札幌の開拓記念館で描いたもの。たくさんの土偶が北海道でも出土している。
しかも、学生時代を過ごし、縁のあった輪西の遺跡からはこのような立派な
ものが。なぜか2倍サイズ!の複製品の展示がある。マスコットのようだ。


縄文早期〜続縄文 :絵鞆遺跡
縄文前期      :小橋内遺跡
縄文前期〜中期  :ポンナイ遺跡
縄文前中期続縄文 :祝津貝塚
縄文中期・後期   :輪西遺跡
縄文中後期続縄文 :鷲別遺跡
縄文晩期      :イタンキ洞窟遺跡
縄文晩期      :イタンキ・ベシボッケ
続縄文       :船見町遺跡
続縄文       :大黒島遺跡
アイヌ期      :崎守遺跡


天然の港でもある室蘭は伊能忠敬大図で見ると小島もあるような、かなり
美しい湾が想像できる。この立地が室蘭の繁栄を約束したのだろう。現在は
工場群がひしめいている。この開発という、土を起こす行為の元、幾つもの
遺跡が発掘されるに及んだのだろうと想像できる。室蘭が栄えた頃は一気に
都市が膨らんだに違いない。多くの発見と、時に失われたものもあったのかも
しれない。遺跡地図を眺めると、室蘭は跡印で埋まる。縄文の早期から延々と
人々が暮らしてきた場所であることがわかる。天然の港、古からの良地なのか。


 
 

ポンナイ遺跡の展示は中でも充実していた。そして好きな石器の類は秀逸だった。
左上:石槍は鋭利でカッコよく、右上:石鏃(無茎)は薄く形が整う。
右下:石鏃(有茎)は好みのカタチ、右下:石のみ!これは使ってみたくなる。
今日一番はこの磨製石器だろうか。斧ではなくたしかに”のみ”というサイズ。
何に使うか?を想像するとかなり芸が細かかったのではないだろうか。

 
 

上2つは小橋内遺跡の骨製装飾品。オホーツク文化の針入を思い出してしまった。
年表によれば縄文前期の遺跡となる。銛先や回転式離頭銛などでは巧みな加工が
見られるけれどこの時代のものならば、相当おしゃれな人が居たに違いない。
左下:謎の石棒は本輪西遺跡(後期-晩期)と謎の石刀はエトモ遺跡(後期-晩期)
のもの。石棒、石刀の類は決まって儀式用とされる。加工しやすい石が選ばれて
いるんだろうか?綺麗な塊なのだけれど柄の部分など装飾が豊かだ。実用性は
なく飾りに近い・・・儀式?なのだろうか。”謎の”という表現が素直だ。


そして、やはり”謎の”石器が右下の独鈷石。市内の小学校に保管されていた
らしい。確かに何だかわからない。祝津貝塚は縄文晩期(2000〜3000年前)の
出土品らしい。長さが27cmという大きさも不気味だ。


土偶にせよ、不気味なくらいいろいろ儀式ものが豊富な地域、文化的だったのか
と思わせるのだけれど石器の洗練さ具合を考えると、頷ける気がする。



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