長万部 その1 町民会館 埋蔵文化財

カニ飯を食べに立ち寄ったことはあるけれど、何時もは通過する街、
ただ興味ある施設があり、道南へキャンプへ向かう途中、ふらりと
立ち寄ってみることにした。本当に思いがけず長万部の街へ。


■町民センター
■平和祈念館
■植木蒼悦記念館


図書館、スポーツセンターと並びこの3つの文化施設が建っている。
管理者もなく連絡先が記されていたので電話をしてみると、図書館に
居た方が駆けつけて来てくれた。当初の私の目的は町民センターに
ある埋蔵文化財の資料室であった。


町民センターの裏にはなぜかプラットフォーム等がある。なぜ?
考えてみると室蘭本線はここで函館本線と合流している。かつては
鉄道の街として栄えたらしい。館内には鉄道の資料室も備わっている。
切符を切るハサミがあったのだけれど、あれは持つと切りたくなる。


静狩金山・静狩湿原コーナーというところに目指す縄文遺跡関係の
展示があった。充実しているとは言い難いものの大変有意義だった。
噴火湾は特別ではなくどこにでも人が住んでいたのだろう。ここ
長万部にも当然のように人々の日常の痕跡が残されている。


     

・栄原2遺跡    〔縄文早期 約BC6000〕
・オバルベツ2遺跡 〔縄文早期 約BC6000〕
・富野3遺跡    〔縄文早期 約BC6000〕
・静狩貝塚     〔縄文後期 約BC2000〕
・静狩川遺跡    〔続縄文時代 約AD300〕
・東蝦夷南部藩長万部陣屋跡
・チャシ跡(国縫
(※年代は参考。実際は幅がある。)


地図にこれらの遺跡をプロットして眺めると色々想像が出来て面白い。
縄文早期の3つの遺跡は明らかに高速道路工事の際に発掘されたのだろう。


噴火湾では海岸沿いの平地と段上の高台という2層の地形を多く見かける。
平地は線路、道路が走り住宅が並ぶ奥行きのない地域でもある。高速道路
は段の上に築かれる。そこは縄文海進の際は海岸であり当時の生活の場で
もある。工事により発掘されるのは必然のことなのかもしれない。

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栄原、富野の2つの早期の遺跡からは特別な石器が見つかっているらしい。
それは”石刃鏃文化の石器”だ。白滝や置戸の黒曜石で作られた石器が
埋葬品などとして出土しているという。矢の刺さった動物が道南まで逃れて
きた!?という説もあるようだけれど、かつて鉄道の街として栄えた地域、
鉄道を通すに有利な地形があったからこそなのだろう。地盤の良さや、
起伏の少なさなど交通の要所となるべき特性は遥か昔から共通し人々は認識
していたのではないだろうか。



「石刃鏃の最南端の地」それが長万部。石刃鏃の石器を見に女満別まで
行ったこともある自分、道南までとは実に遠い。どのような過程を経て、
そこまでたどり着いたのだろう?想像を巡らせると楽しくなってしまう。










白滝とは実に遠方にある。しかも日高山脈を越えなければならない。
直接、石刃鏃文化の人若しくは長万部の人が行き来したのだろうか?
舟なら襟裳岬を越えて釧路方面まで行くことは可能だろう。
陸路なら海岸沿いに伊達、室蘭、苫小牧を経て日高に向かうと山脈が
あるので内陸方面の千歳、岩見沢へ抜け石狩川へ出るのか?
又は長万部から内陸に入り5号線に沿うように倶知安を抜け余市
目指し日本海側から石狩川を目指すのか?上流では上川を目指すか、
名寄を目指すのか幾つものルートや地域を選べそうだ。

当然、出会いも交流も多々あったのだろうか。巡り巡る縄文の頃。







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