小堀遠州の八窓庵(茶室)  札幌は中島公園にて。  


旧国宝である八窓庵(ハッソウアン)は中島公園の日本庭園の中に在る。
数年前の大雪で倒壊するも驚くべきき修繕を経て今、見学が出来る。


国宝に指定されている茶室は3棟ある。
・妙喜庵 待庵(タイアン) 千利休
・密庵(ミッタン) 小堀遠州
・如庵(ジョアン) 織田有落斎


中島公園で見学出来るこの三分庵と水屋、八窓庵の三室一棟。
その内、八窓庵は小堀遠州の作とされている。



手前の壁に隠れているけれど、にじり口が見える。本当に小さな穴だ。
ここから出入りする。建築自体は小さく、密で、可愛らしい。それに
中島公園の景観にも今はよく合っていると思う。


庇は手を伸ばせば届くほど低い。にじり口前から眺めると、木々に
囲まれた薄暗さもあるなか、軒裏に光が回りこみ、浮かぶ陰影が
眺められる。梁との隙間から重なる別の屋根裏も見え隠れする。


屋根妻側の破風は柿の木の薄い板を重ねたもの。侘びの空間に
あって、これだけは手間隙の掛かる高価な仕様であるらしい。


さらっと図面を起す。茶室は描くのがえらく手間だ。帖数と大まかな
窓位置を確認して描いたので参考程度のもの。


八窓庵は二畳台目。最も狭い部類の茶室だ。室内は本当に狭い。
天井も低い。でも窓は天井の突上窓を入れて八つもある。


窓から覗くと、ミニチュアか子供の家か、恐ろしく狭い室内が見える。
この只の小さな空間は、にじり口を通じて上がり込み、床の間を眺め
座れば小宇宙を感じさせてくれるに違いない。


窓の隙間から散々八窓庵を眺めた後に三分庵の四畳半を眺めると
間が抜けたように広く感じてしまう。人の感覚とは相対的なもの。
明暗や大小は組み合わせることで非常に大きな効果が得られる。


身体にフィットする最小限の豊かな空間(八窓庵)があればこそ体感
できるアトラクションのようでもある。







【北大植物園】 その2 展示物

北大植物園の博物館は積極的に収集し博物する施設ではない
ようだ。前日の記事の通り、散逸の危機にあった初期の遠間
コレクションがそうであるように、避難所的に使われたのではと
思われる。今でこそ埋蔵文化財センターなど理解はあるものの、
当時は保存や展示、研究の多くが個人に頼られていたらしい。


ここで見られるのは、そのような北海道の考古学初期の頃の
今も無事に伝わる資料なのではないかと思われる。




■続縄文式土器 北見サロマ湖

とだけ記されている。これは”熊”だろうか。有珠モシリ遺跡
熊のついた遺物を思い出した。


■コハク玉 後北式土器に伴出

と記されている。続縄文の頃なのだろうか。開拓記念館で見た
芦別市滝里4遺跡のは印象に残っている。


■続縄文文化の石鏃 後北式土器に伴出 江別出土

コハクに対し、”式”の文字が足されている。これも続縄文の頃?
黒曜石の実に綺麗な、精緻な石器だ。このレベルの加工が施さ
れると、既に職人が居たのではないかと思えてしまう。


       

■オホーツク式土器 千島、国後出土 海獣の頭部付注口土器

トドだろうか?網走市郷土博物館で見た牙製の像を思い出す。


       

■オホーツク式土器 網走モヨロ貝塚

蛇のような波のようなうねり、後からひも状の粘土を這わせた姿は
如何にもオホーツク式なのだと思う。


       

■続縄文式土器 江別兵村町村農場 名取武光 採取

この注口式土器はフゴッペ洞窟の土器を思い出す。


       

■続縄文式土器 江別兵村町村農場

縄文の土器文化ではあるものの、続縄文の頃の土器は洗練されて
いる。素人が一夕にして焼けるようなものではないことは明らか。








これまでスケッチをメインに書いていたのだけれど、常にスケッチが
充実するわけでもない。基本的に博物館は撮影が出来る。故に写真
資料は随分増えている。少し間が空くと、自分自身がどこで見たのか
迷ってしまう。ブログを通じて整理しつつ、これからは写真も充実させ
ようかと考えている。


ネット検索で間違ってこのブログに辿り付き、あれこれスナップ写真で
博物してしまった人があったなら、それは大変に申し訳ない。やはり、
本物に出会う喜びは何にも代え難い。

秋かー。   【北大植物園】 その1

今年はお盆の頃から雨がち、日に日に風が冷たくなるのを感じる。
先日、北大植物園を訪ねた際も雨であった。一時雨足が弱まるも、
結局は止むことはなかった。


葉の上には様々な雫が出来ていた。




晴れていれば気持ちよく過ごせそうな、まとまった緑のある園内。
雨は雨で瑞々しく潤う様も捨てがたくはあったけれども。




植物に詳しくはない私、見所が今ひとつ分からないなりに楽しむ。
これは、サボテンだな。




つい、こういう部分に目が行ってしまう。どうやら現役で今も可動
するらしい。温室のこういう仕組みは興味深い。




園内には博物施設がある。博物館そのものが展示されていると言った
印象を受ける。少し、物足りない? この羽は綺麗であった。こんな
収集の方法もあるのかと驚く。実際、とても良く観察が出来る。




実は初夏の頃、遠軽旧白滝)の埋蔵文化財センターを訪ねている。
旧石器時代の石器、そもそもは遠間氏によるものらしい。彼の初期
収集のコレクションは、紆余曲折を経て今はここにひっそりと収蔵、
展示されている。・・・と言っても展示は2つばかりなのだけれど。


と言う意味もあり、博物というよりは雰囲気をという園内ではある。




エゾオオカミだそうだ。たしかこの剥製となったオオカミは豊平で
捕獲されたと記されていたと思う。オオカミに熊、鷹やフクロウなど
食物連鎖の頂点にある生き物が嘗てはこの北海道にいたのだ。


オオカミの骨は縄文、続縄文の遺跡ではしばしばみつかるようだ。
洞爺湖町や苫小牧の遺跡でもあったと記憶している。実際眺めると、
明らかに犬とは違う大きさだ。暢気にキノコ採りにでも出かけて
隙だらけの背をさらせば、襲われたりしたのだろうか?




ちなみにタローも居る。映画「南極物語」は今観ても涙してしまう。
「タローとジロー」のタローは今は剥製となり余生をここで過ごす。
剥製を見たかったのかどうか、少し悩ましいのだけれど、この一匹
が極限の世界で生き延びたのかと思うと感慨深い。







しばらく、書くことを躊躇い止まっていた。丁度震災の頃からか。
この間、2度目の苫小牧博物館や静川遺跡、常呂の遺跡、それに
白滝などを訪ねている。おいおいそれらのことも自分の見た範囲で
これまでのように御気楽な調子ではあるものの書いて行こうと思う。







スキー場で。

週末に札幌の国際スキー場にてスキーを楽しむ。


先週降り続いた雪への期待は大きかったものの、少々重く、
昼も過ぎには麓の斜面は硬くなり絶好とは言えず。
それでもやはり、スキーは面白い。


ただ、体力と太もも耐力のなさは痛感してしまう。
一日、滑りきるだけの基礎を備える必要がありそうだ。






苦しくなり、一時休憩とのんびりゲレンデを眺めている時、
たまたま横に居られた方、その胸に「ピリカスキースクール」
とあった。スキー学校だったかもしれない。


”ピリカ”とみて、ピリカコタンとでも関係があるのかと思い
尋ねると今金のピリカ(美利河)だという。
この日は指導員の研修があり、全道各地から集まってたらしい。




札幌のピリカコタンはかつて人が住んでいた場所であったろうか?
よく覚えていない。施設には博物資料はなかったと記憶している。
どちらかと言えば工芸、現代の人が当時の技術で再現した資料の
展示がある。故に触ることの出来る貴重な場所でもある。


博物ではなく、現代の情報基地としての役割が強い施設であると
認識していた。


対して同じ名前ではあるけれど、美利河とは旧石器時代の石器
加工場の遺跡が確認されている場所である。好きで、もう3度も
尋ねた場所だ。頁岩の形の良い尖頭器が忘れられない。




そこに住まわれていたというたまたま隣合わせたスキーの指導員の
方は、考古学が専門ではなさそう。けれど、住まう場所への理解は
十分で、即座に旧石器時代の話が飛び出してきた。


自分の住まう場所のことを知っておられるというのは素晴らしいこと
だと思う。スキー場で突然、旧石器時代を尋ねられ方は驚かれたかも
しれない。迷惑ではなかったとは思うものの、大変失礼致しました。

けれども、ひと時ではあったものの良い出会いでした。





以前書いたピリカの記事です。










浦幌の吉野遺跡   苫小牧市博物館

是非一度と思っていた苫小牧市博物館を訪ねた。
コレクションは非常に充実している。
展示も心配りのある丁寧なもので見応え十分。


アイヌの衣の展示は素晴らしいのではないのだろうか?
考古学的な古さではないのかもしれないけれど、複製品や
現代工芸品ではなく、現物が大切に保管されているようだ。


5そうの丸木舟、チプの展示も圧巻だった。



縄文の類は予想していたけれど、北黄金入江・高砂に並ぶ。


・・・博物館のことはまた改めて書きたい。





        



写真は石器。苫小牧とは直接関係はない。石器の一般的な案内として
標本されていた。頁岩の石器は浦幌の吉野遺跡のもの。
以前見たピリカのものに良く似た印象。両面加工の薄く精緻な石器だ。
その横にならぶ2つは不明品なのだけれど、遺物であるならば、
その黒曜石、白滝のものだろうか?かなりカッコのよい逸品だ。


浦幌、まったく縁がない。でもなぜか記憶にあり、気になっていた。




先日掲載した道東MAPに実はあった。石刃鏃の石器が発掘された場所、
それが浦幌の吉野遺跡だった。遠方であり行くことはないだろうなーと
思っていたのだけれど、今日この石器を眺めて興味を深くしている。


女満別は行ったし、長万部でも石刃鏃は見たし、白滝を見て、浦幌まで・・・




        


ちなみに静川遺跡、白老の虎杖浜でも石刃鏃が見つかっているらしい。
石が一見して違って見えるのは気のせい?白滝産なんだろうか。
加工された美しい石器にも、良質な石そのものの石器にも魅惑されてしまう。









博物 道東MAP

今年は道東で設計の仕事に携わることになりそうだ。
夏まで、月に2、3度程通うことになるだろうと思う。


道南に通った際は噴火湾を主にあちこち巡ったっけ。
故郷を改めて眺める機会となりそうで楽しみだ。


自分は旅に出るときは必ず地図を作る。その大きさを
正しく把握したいからなのだと思う。地図は自分で描く。
自分で描くと、そのスケール感がよく理解できる。


道東の博物MAP。


道東は広い。広大すぎる。容易には巡ることは難しそうだ。
オホーツクと釧路+根室、十勝方面を網羅している。
町村の郷土資料館の類から主だった史跡を記している。
(名称、住所、電話番号、主な出土品などを記載)


主にオホーツクを巡ることになるのだと思う。


網走、女満別はここ数年で巡る機会があった。
眺めると興部、紋別辺りから常呂、網走、斜里と博物は
充実している。施設がどの程度なのかは少し不安を感じる
けれど、注目しているのは常呂のところ遺跡の森。


興部、紋別は遠方となるために迷うけれど、一度は訪ねたい。
オホーツク方面は察文の遺跡関係が多い印象を受ける。


もう一つは、やはり遠方となるけれど、斜里の朱円周堤墓。
根北峠を抜けて標津のカリカリウス遺跡までを巡る機会も
設けられたら良いのだけれど、これは微妙かな。


夏休みを利用してキャンプがてらとすれば出来るかな?


足早に通過できる場所もあるだろうけれど、以前訪ねた斜里の
博物館はかなり面白かった。スケッチを始めると数時間を過ごす
ことも在り得るので、臨機な旅がやはり望ましい。
道東は広く、距離があるので予定を詰め込むと消化できそうにない。


円空さんの菩薩が釧路、広尾で確認できるらしい。
これもちょっと気になる。その釧路は開発が進んでいるからか、
チャシや貝塚も含め様々に楽しめる場所のようだ。


是非とも訪ねたいのは北斗遺跡だ。太平洋側も充実している。
白糠、音別、浦幌、広尾と続く。浦幌には石刃鏃があるらしい。


石刃鏃、期待しているのは白滝だ。どの程度が訪ねて見学できるのか?
よく分からない。なんらかのツアーに入る必要があるのだろうか。
遠軽では埋蔵文化財センターが新設されるらしい。これも期待だ。


旧石器時代の遺跡もある十勝は帯広の博物館が期待できるのだろうか。


こう眺めると、史跡、遺跡類は確かに充実しているのだけれど、
実際に眺めようと考えると、道南もそうなのだけれど、標がない。
特に範囲の広い道東では一体的なつながりを想像できるのだけれど、
訪ねる場合は点と点を地道で気長に結ぶ旅になりそうだ。


網走、標津、釧路、十勝あたりに拠点となる案内施設があれば、
これら類稀なる資料を系統立てて実際に案内できるのではと思う。


今は札幌に住んでいるからなー、夏に5泊くらいを予定して
一気にオホーツクと根室+釧路方面を巡ってみようかな。


旧石器から石刃鏃文化を経て、縄文、擦文、オホーツク、アイヌ
楽しむことが出来そうだ。
と、地図を眺めて想像を巡らせている。









人面付環状土器 茂辺地式


久しぶりに北海道開拓記念館を訪ねた。石器つくり体験以来となった。


開拓記念館ではたくさんのスケッチをしている。整理し掲載したいと
思っている。思っているのだけれど、なかなか書き出せず。


この日は気になっていたこの土器を描く。環状土器は長沼出土のもの、
埋蔵文化財センターで見たものが特に印象的なのだけれど、こちらは
もう少し整った形にみえる。


大きな目、彫りの深い顔立ちの人面が付く。おまけに見える一体は体も
描かれていた。全体の縄文の文様はカリンバあたりで出土する土器のような
緻密さではなく、入江式のような具合で大胆だ。


縄文後期の北斗市茂辺地から出土したこの土器はグラマラスでかなり大胆な
表情を持つにも関わらずプロポーションが良く、とても印象的だ。


その環状の具合を考えると、常用の道具とも思われない。それとも、高級な
ブランディーの芸の細かい容器のように、特別なお酒でも入れて楽しんだのか?
または良く聞く精神文化の目覚め、シャーマンに関わるものなのだろうか。



描いてみて、そのプロポーションを決定付けているのは脚部ではないかと
感じていた。ヴォリューム感のあるプロポーションは思いの他小さな台座で
立たされている。環状というだけでも難しいだろうに、この脚で立たせるとは
相当な精度で土器を作製したいたのではないだろうか。


それとも当時、このくらいは誰でも作りえたのだろうか。



今回はスケッチに色を付けてみた。
参考に長沼の異形環状式土器を。